『男と女』

YEBISU GARDEN CINEMAにて

『男と女』(製作50周年記念 デジタル・リマスター版)

原題:Un homme et une femme(A Man and a Woman)
1966年/フランス
Les Films 13
配給:ユナイテッド・アーティスツ
製作・監督・脚本:クロード・ルルーシュ/脚本:ピエール・ユイッテルヘーベン
出演:アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャンピエール・バルー

あらすじ:

 休日は息子を乗せてパリ市内をムスタングで乗り回すテストレーサー・ジャン=ルイ・トランティニャンは、同じ寄宿舎に娘を預けているアヌーク・エーメと出会う。パリへ向かう車の中で、普段は映画のスクリプターとして働いているアヌーク・エーメはスタントマンの夫・ピエール・バルーの話をする。ル・マンのレーサーでもあったジャン・ルイも、これまで彼を支えてきた妻のヴァレリーの話をする。互いを知り会い、話をするなかで、2人はどうしても避けることができない。なぜ彼らはいまひとりでいるのかを。

 

 フランス映画ほど退屈な映画はない、と一度言ってみたかった。名作!名作!世界の名作!と言われるフランス映画のDVDを手にして、観てる途中でめげてしまう、あるいは頭の片隅にタイトルを残したまま半永久的に放置してしまう。そんなことが結構ある。何を言ってるかさっぱりわからないフランス語、こちらが飽きるのを待っているとしか思えない長いシーン、寝てしまったのかと思わず錯覚するほど飛び飛びになるストーリー。『男と女』NHKで放送したときに観たはずだが肝心の中身はすっかり忘れてしまっていた。

 

 『男と女』のただ1本ですべてのフランス映画を代表させるつもりはないのだけれど、今回、ほとんどまっさらな気持ちでスクリーンと向かい合ってみて、フランス映画ほど映画の観客を信用してくれる映画はないかもしれないと思った。少しでも観客を飽きさせないために計算し尽くされた映画は、ある意味観客のことをせっかちで飽きっぽいものだと決めつけて作られているわけで、それは観客をまったく信用していない、と言い換えることもできる。その点でフランス映画はとても大人、それもすごく成熟している大人の映画で、映画館の暗闇の中で観客と映画が長い時間を一緒に過ごすことを前提として作られている。

 

 説明過多の「映画みたいななにか」に慣らされてしまった目からすると『男と女』は、騒がしい街の中にいても頭にこびりつくポップミュージックに対する、ひとりになって熟読すれば心に沁み渡る散文詩みたいなものだ。余計なことで気を散らせて画面から目をそらさなければ、ちゃんと理解できるようにできている。さすがは芸術の国。きっと、アートをアートとして真正面から向かい合う姿勢が国民的に浸透してるからこんな映画が生まれるのだろう。家のテレビ画面で観るとあんなに退屈だったゴダール作品が、なぜ映画館で観るとそれなりの収穫を持って受け止めることができたのか。なんだかわかったような気がする。

 

 さて、主人公は世界のトップレーサーなので、甘い甘いラヴロマンスの傑作とされる『男と女』には無縁とも思える爆音とスピードと、それからスリルが話の中で割と大きなウェイトを占める。男と女のドラマだけを追うと非常に情緒的な映画に見えるのに、スタートからゴールまでのコースが決まっている激しいカーレースの場面と、一筋縄ではいかない男女の関係を対比させると、むしろ淡白な映画に見えてくる不思議な映画だ。きっとスティーヴ・マックィーンは、『男と女』を観て「これだよ!俺がやりたかったのはこれ!」と思い『栄光のル・マンを作ったんじゃないだろうか。というか、『栄光のル・マン』の場面を思い出せば出すほど、後発のマックィーンが『男と女』ものすごい憧れとリスペクトを持ってマネっこしているのが見えてくる。音楽にミシェル・ルグランを起用しているのもきっとそうだ。フランシス・レイをバッキバキに意識している。

 

 モノクロとカラーの場面が混在しているのには、なにか厳密なルールが敷かれているのだろうか。過去だからモノクロ、現在だからカラー、みたいなありきたりなもんではない。こうなるとこちらと監督のゲーム対決だ。この映画の場合、基本的に男は好きになったら一直線、レースにも一直線。おそらくジャン・ルイにとって車と女は同じようなもので、モノクロかカラーかは主に野郎視点で切り替わっていると思うがどうか。

 

 デジタルリマスター版とはどんなもんじゃろと思って観ていたら、主に手持ちカメラが使われているシーンで画面にゴミが映りっ放しだった。ちょっと汚れてたほうが雰囲気あっていいじゃんと判断されたのか、それとももしかして、カメラのレンズにゴミがついたままずっと撮影してたとか? まさか! でも、別に集中力を削ぐほどのものではないのでそれはどうでもいい。

 

 どうでもよくないのはスクリーンのドット抜けだ。安っぽいパソコンのディスプレイによくあるような白く小さな点が画面の右下にずっと出っ放しになっている。明るい場面では目立たないが、暗い場面になるとクッキリと白い点が浮き出るので前のほうの席からだとけっこう目につく。それから、本編前に流れた予告篇のなかに、素材の解像度が低いのか、画面がギザギザして見づらいものがあった。ビデオ撮りのドキュメンタリーなど、大元の映像の画質が良くないときもあるのである程度は仕方ないとはいえ、かつてのようにフィルムに変換されていればここまでギザギザが際立つこともなかった。さも不便で前時代的だと思われているフィルム上映ではまずありえないミス、というか欠陥で、やはりさも完全無欠のように思われていたデジタル上映が当たり前になったらなったで、気になることはやっぱり出てくるものだ。

 

 ところで、日暮れどきの海を歩くシーンで、大野雄二みたいなフルートがピロピロする曲がかかる。なんだか「ラヴ・スコール」が流れる「ルパン三世」の第2シリーズのエンディングみたいだった。ルパンと次元が乗るフィアット500はイタリアの車だし、少なくとも先代のルパンはそもそもフランス人だし、世界を飛び回るルパンとはいえ、彼が騒ぎを起こすとき背景に描かれるのはたいていヨーロッパだし、『男と女』が日本人に与えたヨーロッパ的ななにかは「ルパン三世」に大きな影響をたしかに……と、自分の知ってることだけを都合よく繋ぎ合わせて勝手に納得しているだけだなと思ったのでこれにて強制終了。ちなみにこの曲はサウンドトラックに「Plus Fort Que Nous(あらがえないもの)」というタイトルで入っている。

 

 

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